クラヴィアソナタの部屋第3室

BGM/Haydn Clavier Sonata No.51(61) D-dur 2nd mov.

◎第35番(第48番)ハ長調通し番号−41

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 2/2 Allegro con brio 大ソナタ
2 2/2 Adagio バロックソナタ
3 3/4 Allegro G,c ロンド形式
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
1780 注釈参照
注釈

この作品から6曲、第35〜39番と第20番は、1780年にアルタリア社より出版されました。表紙にはアウエンブルガー姉妹への献辞が書かれています。当時は、本当の意味での女流の職業演奏家というのはあり得ない時代でしたので、姉妹をアマチュアピアニストと書いた資料もありますが、若いけれど(当時、姉が25歳、妹は21歳ということです)実力あるピアニストという事で、当時のウィーンで爆発的な人気を得ていたようです。ハイドンが2人の演奏を大変に誉めた手紙が残っていますし、レオポルド・モーツァルトが絶賛したという話も残っています。

さて、この曲集は想定するピアニストが女性という事もあり、一部に以前から書かれていた曲が含まれているものの、全体の印象としては、一際垢抜けた華やかな曲調になっていています。特に、前半の3曲はソナタアルバムにも掲載されていて、よく知られています。中でも、このハ長調の曲は、ソナチネアルバムにも併せて掲載されていて、ハイドンのピアノ(クラヴィア)作品としては、最も有名な曲でしょう。かわいらしい主題に始まり、思いもかけないような劇的な展開を見せる曲で、印象的な作品です。


◎第36番(第49番)嬰ハ短調通し番号−42

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 4/4 Moderato cis 中ソナタ
2 2/4 Scherzando Allegro con brio 2つの主題を持つ変奏曲/td>
3 3/4 Menuet Moderato cis Cis メヌエット
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
1780 重厚な短調で、シュトュルム・ウント・ドランク時代の特色を備えている
注釈

この作品は、書法的に見てかなり以前の作品ではないかと考えられています。当時としては異常とも思える調設定になっていますので、作曲者が発表をためらっていたということは十分に考えられます。殊に、エステルハージ候に献呈されたソナタ集(第21〜26番)の成立時に書かれたにもかかわらず、そちらの曲集に入れる事を見送る事にしたのではないか、と疑われます。そちらのソナタ集には短調の作品が含まれていない事も、気になります(詳しくはそちらの注釈を参照して下さい)。ただし、以上の事を裏付ける資料は、今の段階では見つかっていません。


◎第37番(第50番)ニ長調通し番号−43

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 4/4 Allegro con brio 大ソナタ
2 3/4 Largo e sostenuto 単純な2部形式
3 /4 Presto ma non troppo d,G ロンド形式
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
1780 軽快で華やかな作品だが、2楽章の短調が対照的。
注釈

この曲も、第35番ハ長調と同じく、人気の高い作品と考えられます。


◎第38番(第51番)変ホ長調通し番号−44

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 4/4 Allegro Moderato Es 中ソナタ
2 6/8 Adagio Es リート風の雰囲気を持つ自由な変奏曲
3 3/4 Allegro Es As メヌエット
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
1780 表面的な華やかさを求めるあまり、和音処理が類型的で、その分だけ現代人には古くさい印象となる。

◎第39番(第52番)ト長調通し番号−45

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 2/4 Allegro con brio g,e 変奏曲の要素を持つロンド形式
2 3/4 Adagio バロックソナタ
3 6/8 Prestissimo 中ソナタ
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
1780 1780 スケールの大きな傑作。聞きどころが多い。
注釈

この曲の1楽章の旋律は、第36番嬰ハ短調の2楽章と酷似しています。ハイドン自身そのことを気にしていたらしく、出版の際、楽譜に以下の断り書きを掲載するように、出版社に指示しています。

「この6曲のソナタの中には、同じ楽想に基づいているように見える2つの別々の楽章があります。これは、作曲者が音楽的処理法の違いを示そうとして、意図的にやったことです。」(原文は当然ドイツ語ですが、英語に訳されたものを日本語訳いたしました)

当初は、どちらか一方を外すという考えで、あまり気にせず書いてしまったものの、該当する2つの作品が、内容的には曲集中1,2を争う出来に仕上がってしまったので、結局双方を入れる事にした、という感じがするのですが、真相はどうなのでしょうか?


◎第20番(第33番)ハ短調通し番号−46

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 4/4 Moderato Es 中ソナタ
2 3/4 Andante con mote As Es 中ソナタ
3 3/4 Allegro Es 中ソナタ
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
1771 1780 注釈参照
注釈

この作品は、自筆譜の断片が現存していて、1771年に書かれた事が判明しています。この作品が前々集や前集に入らなかった事につきましては、確実な証拠を得る事は難しいのですが、それなりに判断が付きます。

この作品は、同じ時期の他のクラヴィア作品に比べて格段に音域の拡大が見られます。この事はこの作品が、それまでと異なる楽器を想定した作品である事を示しています。もちろん、新式で音域が拡大されたチェンバロという可能性も考えてみなければなりませんが、それまでの作品に比べて、遥かに表情豊かな強弱記号が使われている事、「ピアニスティック」としか呼びようのない書法を大胆に用いている事を考え合わせてみますと、当時ようやく一般に広まってきたフォルテピアノであると結論づけても構わないように思います。そして、1771年当時においてはフォルテピアノ用の作品の出版は時期尚早である、という判断になったと考えられます。モーツァルトのピアノ協奏曲の中期の傑作「ジュノム」が1777年の作であること、そして後期の傑作群が書かれたのが1780年代に入ってからであることを考え合わせて見れば、納得がいくことと思います。

この作品における「ピアニスティック」な部分は、年代的には後に書かれたはずの他の5曲よりも格段に先を行っていて、あまり度々は見られない最前衛の作曲家としてのハイドンが顔を覗かせている事になります。内容の深い意欲作という意味では、他の5曲を遥かに凌いでいると考えます。


×第15番(番外)ハ長調通し番号−47

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 6/8 Allegro 小ソナタ
2 3/4 Menuetto メヌエット
3 2/4 Moderato 変奏曲
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
1785 注釈参照
注釈

この作品は、所謂偽作ではなく、ハイドンの1760年前後の作品と考えられる6声部のディベルティメント(Hob.II:11)のクラヴィア独奏用の編曲です。もともとは4楽章構成になっていますが、原曲の2楽章のアンダンテが省略され、さらにフィナーレの8つの変奏のうち、3つが省略されています。このソナタ版は、1785年に、次の第43、33、34、40,41,42番のソナタと共に、パリで出版されています。

さて、もしもこの編曲がハイドン自身の意図によるものでしたら、真作として番号に加える可能性があるのですが、幸か不幸か、編曲自体がハイドンの手による、もしくは指示によるものとは到底考えられないほど稚拙な出来ですので、作曲者が関与していない事は明らかで、当然の如く真作の番号からは除外されるに至っています。原曲自体はそれほど悪くはないと思いますが、この編曲版は編曲の拙さがあまりにも目立っており、全くお勧め出来る作品ではありません。


○第43番(第35番)変イ長調通し番号−48

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 2/2 Moderato As Es 中ソナタ
2 3/4 Menuet As As メヌエット
3 2/4 Rondo Presto As Es,f 7部形式のロンド
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
1783 注釈参照
注釈

この作品と次の2曲は1783年にロンドンで出版が予告され、翌年にかけて順次出版されたものです。この3曲は、その時の新作とは考えられないのですが、奇妙に資料が少ないため、作曲年代の推定にかなりの困難があります。わずかに、1778年と明記さかれた筆写譜が1点と、年代の記入の無い筆写譜が数点だけ存在しているのですが、その年号も筆写された時の年号である事が、ほぼ確認されています。ハイドン全集版では、作曲年を推測で決めてしまう事を避けて、出版年順に1780年のソナタ集の次に配しています。しかし、書法的には70年代前半(それ以前との見解もあります)の作品と考えて良いかと思います。

この作品は、冒頭のメロディは印象に残るものの、全体としては、曲調的にさして特徴の無いこじんまりした印象の曲です。


○第33番(第34番)ニ長調通し番号−49

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 2/4 Allegro 大ソナタ
2 3/4 Adagio 小ソナタ
後半リピート無しで、切れ目無しに3楽章に進む。
3 3/4 Tempo di menuet 2つの主題を持つ変奏曲
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
1783 2楽章がしっとりとした佳曲。全体的にはあっさりし過ぎている。
注釈

この作品も、前作同様1770年代前半の作品と考えられています。


◎第34番(第53番)ホ短調通し番号−50

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 6/8 Presto 大ソナタ
2 3/4 Adagio 小ソナタ
後半リピート無しで切れ目なく3楽章に続く
3 2/4 Vivace molto 2つの主題を持つ変奏曲
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
1784 注釈参照
注釈

この作品は、ソナタアルバムに掲載されている一曲で、がっちりした構成と憂いを含んだメロディで、一際目立っている曲です。前2曲に続いて、ロンドンで出版されていますが、この作品も出版以前の資料がほとんどなく、作曲年代を推定する事が困難になっています。しかし、前2曲とは明らかに作風が異なっていると判断出来ますので、1780年代に入ってからの作品ではないかと考えられています。


◎第40番(第54番)ト長調通し番号−51

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 6/8 Allegretto e innocente 2つの主題による変奏曲
2 4/4 Presto 複合3部形式
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
[1783] 1784 両楽章ともソナタ形式ではない事が目を引く。
注釈

第40〜42番の3曲は、1784年にマンハイム近郊のボスラー社から出版されましたが、前の曲集とは異なり、こちらはマリー・エステルハージ候妃への献辞が書かれていて、ハイドン自身が出版に関わっていた事は確実視出来ます。候妃は、リヒテンシュタインの王女で、ハイドンが長年仕えたニコラウス・エステルージ候の孫に当るニコラウス二世と1783年に結婚したものです。結婚を祝して作曲されたと考えて差し支えないでしょうし、そういう作品を何年も前から書いておくはずはありませんので、1783年の結婚式のおそらく直前に作曲されたものと判断して良いかと思われます。

さて、この曲集は、曲集として考える限りはハイドンの全作品の中でも最大級の問題作と断じて良いでしょう。それまでの形式美を追求するような古典派的な作風から、全く別な方向へ足を踏み出してしまっています。モチーフがどのように変容して行くか、という部分に最大の注意が払われていて、逆に形式的にはあいまいな折衷的な形になっています。ソナタ形式に拘っていない事も特筆されますし、3曲とも2楽章様式となっている事も目を引きます。全編が多かれ少なかれ変奏曲的な扱いになっていて、その変化の玄妙さは目を見張るばかりです。この作品群は、私見ではシューベルトへの道筋を示しているように感じますし、ロマン派後期以降に散見する2楽章様式のソナタの規範となっていると思います。

なお、この第40番ト長調はソナタアルバムの2巻に掲載されていて、よく知られた作品です。


◎第41番(第55番)変ロ長調通し番号−52

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 2/2 Allegro 中ソナタ
2 2/4 Allegro di molto 複合3部形式
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
[1783] 1784 2つの楽章がどちらも早い楽章でありながら、性格的に書き分けられているのは見事。

◎第42番(第56番)ニ長調通し番号−53

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 3/4 Andante con espressione 複合3部形式と変奏曲の合わさった形
2 2/4 Vivace assai カプリチォ
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
[1783] 1784 注釈参照
注釈

この作品の形式は一際変わっています。1楽章は、表面上はAABAとなっていて、前半をリピートした複合3部形式と考えられるのですが、テーマが出て来る度に変奏されていますし、Bの部分すらAのテーマの変奏の要素を備えています。2楽章はさらに独自で、テーマがどんどん変化しながら進んで行く形で、ハイドンの場合に限ればカプリチォ(本来は形式を意味する言葉ではありません)という音楽で、何度か用いられている形式です。


◎第48番(第58番)ハ長調通し番号−54

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 3/4 Andante con espressione 2つの主題を持つ変奏曲
2 2/4 Rondo Presto G,c 自由なロンド形式
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
1789 1789 注釈参照
注釈

この作品は単独に作られた作品です。ライプチッヒの出版社ブライトコップフ社の依頼によって書かれました。出版社の企画は、いろいろな作曲家の新作のクラヴィア曲を集めた曲集、ということで、1曲だけ単独の作品の依頼となった訳です。このハイドンの作品は全4巻の曲集の1番最初に掲載されていますので、当時のハイドンの人気を窺い知る恰好の材料とも言えます。自筆譜は残っていませんが、出版社宛の手紙が残っていて、3月8日付けで完成間近であること、4月5日付けで、作品を別送すること、そして大変な自信作であることが書かれています。ここまで、作品の成立事情の詳細が確認できるクラヴィアソナタは、他に例がありません。

曲調的には、6年の歳月の隔たりがあるにもかかわらず、前の3曲との共通性が目を引きます。前の作品で到達した境地が、決して一過性のものではなかった事が再確認出来ます。


◎第49番(第59番)変ホ長調通し番号−55

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 3/4 Allegro Es 大ソナタ
2 3/4 Adagio e cantabile 複合3部形式だが、単純にリピートするのではなく変奏されている。
3 3/4 Tempo di minuet Es es ロンド形式
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
1790 1791 注釈参照
注釈

この作品も単独の作品です。自筆譜が残っていて、マリア・アンナ・イェルリシェック婦人への献辞が書かれています。この女性は、この時期エステルハージ家の家事管理をしていた人で、後にトスト夫人となった人です(第2トスト4重奏曲の注釈を参照して下さい)。しかし、この時期のハイドンの手紙が残っていて、実際は、マリアンネ・フォン・ゲンツィンガー夫人のために書かれた事が判明しています。イェルシェック婦人の勧めに従って、ゲンツィンガー夫人のために書いたものと解釈されています。ゲンツィンガー夫人は、エステルハージ家に出入りしていた医者の夫人で、相当の音楽的な素養を備えていた人だとわかっています。ハイドンは、初めは音楽論を闘わせられる話し相手として、そして友人として、後には友人以上の存在として考えていたようです。

この作品の大きな特徴は、初めてタイトルに「ピアノフォルテのための・・」と明記された事です。それまでも、ピアノフォルテを念頭に置いていたと思われる作品はあるのですが、タイトルには「チェンバロもしくはピアノフォルテ・・」と書かれたものがいくつか存在するだけです。曲調としては久しぶりに3楽章のスタイルに戻っているのが目に付きますが、2楽章が後から書き加えられた事が前記の手紙で判明しています。最初2楽章様式を継承する考えだったものが、ある種の音楽的必然性に迫られ、予定を変更したものと思われます。この後から加えられた2楽章は、全く素晴らしい作品で、全クラヴィアソナタ中最も深遠な緩徐楽章と思います。3楽章もなかなか内容の深いメヌエットで、軽い曲の多いメヌエット楽章としては異例なものでしょう。


◎第52番(第62番)変ホ長調通し番号−56

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 4/4 Allegro Es 大ソナタ
2 3/4 Adagio 3部形式
3 2/4 Presto Es 大ソナタ
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
1794 1798 注釈参照
注釈

最後の3つのソナタは、第2回のロンドン旅行の時に書かれたという定説になっています。ハイドンは、ロンドンでの日常についての細かなメモを残しているのですが、残念ながら、この時期の分だけ紛失していて、本当にこの時期に書かれたのかをはっきり証明できる資料がなかなか無いのが現状です。今後、新資料の発見で定説が覆る可能性もあります。わかっている事は、ハイドンがロンドンで、当時の人気女流ピアニスト、テレーゼ・ジャンセン嬢のために3つのソナタを書いたという上記のメモの写しが残っているということなのですが、このソナタがクラヴィアソナタを意味するのかどうかにも疑問があります。つまり、クラヴィア3重奏曲の第27〜29番の3曲も、ジャンセン嬢のために書かれた事が判明していて、当時はクラヴィア3重奏曲もソナタと呼び習わされていたという事があるからです。ただし、この第52番だけは自筆譜が残っていて、ジャンセン嬢への献辞が書かれていますので、特に献呈に関する問題はありません。問題のある曲につきましては、そちらに書きましょう。

最後の3曲につきましては、曲順を決める決定的な資料もありませんし、あまりにも3曲のスタイルが違い過ぎるので、3曲でセットになっているとも考えにくく、いろいろ謎が残されています。ハイドン全集版では、曲順は出版順を採用しています。ただ、もしもコンサートで連続して演奏するのならば、元々のホーボーケンの番号順の方が良いと考えています。

さて、この3曲の大きな特徴は、はっきりとそれまでの作品よりも高い演奏技術が要求されているということで、その分だけ、華やかさが増しているとも言えます。これは、ある意味では当然で、モーツァルト亡き後の当時の世界最高のピアニストは、ロンドンのクレメンティとその弟子たちである事は論を待ちませんし、他ならぬジャンセン嬢がクレメンティの高弟である訳で、それに沿った必然の結果と考えられます。

それ以外の特徴で目を引くのは、主題を変化させることに腐心する方向性ではなくなり、主題そのものに大きなポイントを備えるようにしていることです。これにより、形式的には以前のがっちりした形に戻っているように見えながら、主題自体は和声的にも、構造的にも非常に斬新なものに仕上がっています。

この第52番は、3曲の中でも一際重厚な作品で、全体のバランスも取れています。1楽章は、躍動感にあふれ、2楽章は静かな中に劇的な効果を秘め、3楽章は華やかでスピード感に溢れています。


◎第50番(第60番)ハ長調通し番号−57

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 4/4 Allegro 大ソナタ
2 3/4 Adagio 小ソナタ
前後半ともリピート無し
3 3/4 Allegro molto 3部形式
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
[1794] 1800 注釈参照
注釈

この作品は、自筆譜は現存していなく、1800年頃の印刷譜が最古の資料となります。しかし2楽章だけはウィーンで1794年に単独の曲として出版されています。この出版は、単にハイドンの気まぐれであるとする説がよく書かれていますが、それではどうも釈然としません。出版社との何らかの問題があったと思われます。

全曲の出版譜にはバルトロッツィ夫人への献辞が書かれています。一見すると前記のジャンセン嬢の問題がありそうですが、この出版の時期にはジャンセン嬢は結婚していて、バルトロッツィ夫人となっていましたので、特に問題はありません。

この曲の一番の特徴は、1楽章が長大で展開部が充実していて、ベートーヴェンの作風を彷彿させることです。ソナタ形式論で言えば、ハイドンのピアノソナタ(敢えてクラヴィアソナタではなくこう書きます)の最後の到達点と見なす事が出来るでしょう。2楽章もなかなか味わいの深い作品です。ただ3楽章がアンバランスなほど短い楽章になっています。この3楽章はスケルツォ風な音楽ですので、ベートーヴェンならば間違いなく、フーガか何かを絡ませたさらに長大な4楽章を続けたことでしょう。しかしながらこの3楽章には、短い中にも驚くほど充実した音楽が詰め込まれていて、ハイドンという個性豊かな作曲家の、ベートーヴェンとは全く異なった資質の部分が、鮮明に表出している音楽だ、という気がいたします。


◎第51番(第61番)ニ長調通し番号−58

楽章 拍子 速度記号 調性1 調性2 形式
1 2/2 Andante 中ソナタ
前後半ともリピート無し
ロンドの要素もある
2 3/4 Presto 3部形式
作曲年 出版年 区分 おすすめランク 特徴
[1794] 1805 注釈参照
注釈

さて、この曲が問題の作品になります。1805年の出版譜はライプチヒのブライトコップフ社で、少なくともロンドンとは何ら脈絡がありません。しかも、出版譜以前の資料が全く見当たらず。一時は贋作説まで唱えられていました。しかし、当時のブライトコップフ社とハイドンの信頼関係を示す状況や、他の作者名での伝承が無い事など、客観的な状況証拠を積み重ねた研究の結果、おそらくロンドンで書かれたもう一つのソナタであろうという説に落ち着きました。

曲調的には、ハイドンの作品とは思えないほど異色であると言えます(そのあたりも贋作説の根拠とされました)。言葉で説明する事は難しいので、興味のある方には聴いてみていただくしかありませんが、シューベルトの感じに近いという点は、決して私一人の感想ではなく、かなり多くの人が指摘している点だと思います。おそらく、大きな演奏会で演奏するのではなく、プライベートな場で楽しむ目的で書かれた作品で(そう考えますと当時の資料が極めて少ない状況の説明もつきます)、そういう創作態度がシューベルトと共通の匂いを醸し出しているのではないでしょうか。